氷川神社(ひかわじんじゃ)
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大宮氷川神社は首都圏約280の氷川神社の本社です。
初詣には約180万人以上の参拝客でにぎわいます。
氷川神社の住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
アクセス:JR大宮駅東口→徒歩20分
車 首都高速新都心西出入口国道17号3km20分
駐車場 無料
問い合わせ先:TEL:048-641-0137
大宮氷川神社の歴史
あこがれの高級ホテルが格安で宿泊予約できます。社伝によれば、孝昭天皇3年(紀元前473年)4月に創建された。
景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになった伝説から、この地域を足立と称するようになった。
成務天皇の時代に出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を崇敬した。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされる。社名の「氷川」も出雲の「簸川」に由来するという説がある。
延喜式神名帳では名神大社に列せられ、聖武天皇の時代に武蔵国一宮に定められた。その門前町は「大いなる宮居」から、大宮という地名で栄えることとなる。
延喜式では一座とされるが、近世には、須佐之男命を祀る男体社、奇稲田姫命を祀る女体社、大己貴命を祀る簸王子社の三社に別れ、それぞれ岩井家・内倉家(後に断絶し、角井家が継承して西角井家を称する)・角井家(後に東角井家を称する)が神主を世襲していた(社家)。三社の祭神や順位を巡る論争もあったが、元禄12年(1699年)三社・三社家を同格とする裁定があった。
かつての見沼の畔に大宮の氷川神社、中川の中氷川神社(現・中山神社)、三室の氷川女体神社が一直線に並ぶ。この三社が男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたという説がある。氷川神社の神池は見沼の名残で、もともと氷川神社は見沼の水神を祀ったことから始まったと考えられている。なお、この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)をよく混同しているが、別のものである。
江戸時代には幕府より社地三百石が寄進されていた。
東京奠都の際、明治天皇が当社を勅祭社と定め、明治元年(1868年)10月28日に当社にて親祭を行った [1]。以来、例祭には勅使の参向があり、宮内庁楽師による歌舞が奉納される。
明治15年(1882年)社殿を改造し、簸王子社と女体社を廃して男体社に三神を祀るようになり、さらに昭和15年(1940年)国費で社殿・楼門等を改築し、現在の姿になった。
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